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寒い季節が到来するとよく天気予報で「冬将軍がやってくる」と気象予報士が伝えますよね。
冬将軍とは寒さと雪をもたらす上空の寒気の集団を指します。
決して冬将軍という名前の武将が日本にくるわけではないです。
でも子供がの場合は冬将軍と聞いても意味がわからないので、こう思うかもしれませんね(;^_^A
でもちょっと気になることがありますよね。
それは「冬将軍って誰かのモデルになってるのでは?」ということです。
まさかな…と思い検索をかけてみたら意外や意外!本当に冬将軍のモデルが存在しました!
冬将軍のモデルって誰?
冬将軍のモデルはロシアの英雄アレクセイ・ミハエルヴィチ・フユシコフという人です。
名前が長いので名乗る時に噛みそうですね(笑)
彼はあの有名なナポレオンのロシア侵攻を食い止めた偉大な実績の持ち主です。
ナポレオンはヨーロッパの国々を次から次へと制圧していき、その勢いのままロシアを制圧しようとしていました。
最強と言われたナポレオン軍にどうやって打ち勝ったのか、見ていきましょう!
フユシコフが冬将軍の起源となった理由
フユシコフはまともにやり合えばナポレオンに勝てないと最初からわかっていました。
なので、ナポレオン軍を罠にかけようとしました。
それは巨大なロシアの地でナポレオン軍から上手く逃げ回り、近くの街や畑を全て焼き払うことです。
そうするとどうでしょう。
ナポレオン軍は食料をまともに確保できず、またロシアの強烈な寒さにより兵隊は疲弊しきってしまいます。
敵軍と戦う頃にはその兵力は三分の一まで落ちてしまい、当然残った兵士も空腹と疲れでまともに戦うことが出来ずに完全敗北したというお話です。
そんなナポレオンを食い止めた英雄フユシコフはgeneral frost(極寒将軍)と呼ばれ、これが冬将軍の起源だとされています。
ではどのようにして日本に冬将軍という言葉が広まったのかを説明していきます!
冬将軍が日本で広まったのはいつ?
冬将軍という言葉が日本で広まるようになったきっかけはある日本の歴史上の偉人が言葉をもじったのが始まりとされています。
その人物は日本の明治・大正期の小説家である森鴎外です。
彼はロシアの「general frostフユシコフ将軍」を「フユ(冬)将軍」と訳したことが日本で冬将軍が広まったとされています。
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森鴎外と言えば偉大な人物ですが、その方がダジャレを言うとは面白いですね…(笑)
これで皆さんもニュースキャスターが冬将軍と言えばフユシコフを思い出すことでしょう。
思い出したところで特に意味はありませんが、是非お知り合いに話すネタとしてお使い頂ければと思います。
なお、すべっても責任は負いかねますのであしからず…(__)
今回のまとめ
ここまでお読みいただきありがとうございました。最後の冬将軍のモデルについてまとめてみました。
冬将軍のモデルとは…
・ロシアのアレクセイ・ミハエルヴィチ・フユシコフという人物がモデル
・フユシコフは当時最強と言われていたナポレオンを力ではなく知恵で追い込んで撃破する
・ナポレオンを倒したフユシコフは「極寒将軍」と呼ばれる
・森鴎外がフユシコフ将軍を冬将軍と訳したことで日本国内でその名が広がることになる
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